どうも、本物しこうです。
今回から数回は、私が18歳から25年間強もの長い間付き合っている精神疾患「パニック障害」についてアップしていきたいと思います。同じ病気の方々にこの記事を見ていただき、私と症状が同じ、私の方が症状が軽い、など感じていただくことで、何かお役に立てられればうれしいです。
今回は、私のパニック障害歴とでも言いましょうか、それを紹介したいと思います。
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〇初発症:18歳
私が当時現役で通っていた高校で実施されたセンター試験の第一日目の一科目目:英語の試験中に発症しました。もともと英語が苦手なことに加え、高校生の私にとっては人生を決める試験というプレッシャーがあり、もちろん過去問などで出題傾向は知っていましたが、問題を見た瞬間に頭が真っ白になり、めまいと脂汗、瞬間的に半失神状態まで行き、気分が悪いと挙手をして、英語の試験を放棄しました。親が私学進学を認めていなかったため、当然現役合格の道は絶たれ、この日で浪人決定でした。
〇2回目の発症:19歳
「パニック障害」という病気はすでに存在していたと思いますが、世の中の認知度が低く、精神科に行くことに抵抗があったため、関連の本を何冊か読んで自分の病気から逃げていた気がします。そんな状況のなか、一浪時のセンター試験時に1年前と同じ英語の試験中に(予想通り)発症しました。ただし、1年前の症状よりは当時軽く感じたので、何度挙手しようか悩みながらもなんとか試験を乗り切りました。ちなみに、英語以降の試験は精神的には問題なかった記憶があります。今思い返せば、試験会場(教室)という閉鎖された空間で逃げ出せない状況がかなり精神的に負担だったみたいで、25年強経った現在でもその症状が見られます。(入試をきっかけに「広場恐怖」を患ったと理解しました。)
〇軽い発症×複数回:大学時代
上述「広場恐怖」のため、大学の90分間の授業時間の最初の10分間程度は精神的にしんどかったです。閉ざされた空間である教室が教室の外と繋がっているという精神的安心感を得るために教室の後ろや窓側などに座っていました。
〇発症対策:30歳 結婚式・披露宴前日
「広場恐怖」を患っていたのは自分自身で理解していたので、女性にとって楽しみな結婚式・披露宴の前日に夫婦で精神科に行き、薬を処方してもらいました。奥さんは複雑な表情をしていましたが、薬を服用した甲斐があり(?)、結婚式・披露宴では発症せずに済みました。この時に、薬を服用すると精神的に楽になるのかな、と感じました。しかし、子供を作るまでは薬に頼らない(頼れない)と考え、引き続き医者には掛かりませんでした。
〇発症対策:41歳 父親の死の1ヶ月前頃
相変わらず病院には行かず「広場恐怖」と自身の精神だけで戦っていましたが、近親者である父親の余命まで1ヶ月程度との連絡があったことで、精神的にパニックになりました。発散方法がなかったので、布団に大声で叫んだりしていましたが、ほんの一時的な発散だったので、精神科に行き、薬を処方してもらいました。この時も、自身の中で薬に頼らないという考えが根底にあったので、数回しか服用しませんでした。
〇発症:42歳 高速道路による帰省時
毎年2回ほど高速道路による帰省をしていて特に問題なく運転できていたのですが、ある日扁桃腺炎か何かに罹って体調の悪い時に運転していて頭がフラフラになり、記憶があいまいのまま高速道路を10分間程度運転したことがトラウマになり、高速道路に乗れなくなりました。高速道路が閉鎖空間ということで2個目の「広場恐怖」に発症したようです。ちなみに、現在はトンネルや一般道でも高架の道路も精神的にしんどく、同じ「広場恐怖」と考えられます。
〇通院開始:44歳
子作りが落ち着いたので「パニック障害」治療を解禁しました。
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私にとっては「パニック障害」との終わりのない戦いを繰り返しながら苦しい人生を送っている(つもりです)が、同じ病気で悩んでおられる方々、皆さんの症状と比べていかがでしょうか。この記事を読んで何かを感じていただければ同じ病気を患っている人間として嬉しいです。
次回は私の「パニック障害」との戦いの記録(全戦全敗ですが。。。)を紹介したいと思います。